10日ほど前にクラウドファンディングで治療の寄付を募り始めたばかりだったのだが、恩師の訃報が届いた。すごく急だったのかもしれないけれど、多分ぎりぎりになるまでクラウドファンディングをしようとはならなかったのだと思う。あまり自分の知名度を使って目立つのは好まないような方だった。ローカルレジェンドと揶揄されることがあっても、どれだけ自分の生徒たちが著名になってもそれを自慢したり自分が売れる為に利用しようとはしない。
彼の演奏、著作、レッスンから伝わる音楽観がどれほど後進たちに深い影響を与えたかは、僕が語るまでもないだろう。多くの生徒や音楽家、そしてファンが、クラウドファンディングで寄付をしてくれていたし、熱いメッセージが記されていた。これからも多くの人たちが引き継いでいくだろう。
僕が留学して最初の学期に、運良く受けることができるようになったMick Goodrick先生のプライベートレッスン、ちょうどその初日が2001年9月11日で当然のことながら休校となり、絶対に忘れることはないと思う。そして翌週から卒業近くまで長く教わることになった。
彼に習うことができた中で、とてもよかったという人もいれば、とても厳しかったという人もいる。そこそこ長く教わっていて傍から見てると、両方あるだろうなと思っていた。まず最初に彼のレッスンを受ける最初の学期は、基本的には皆同じカリキュラムで教わる。高い学費を払い世界中から集まり、その中で実力が認められるか運が良く、なんとか受講出来たレッスン。僅かな時間で可能な限り重要なことを学んでもらうカリキュラムだと思う。一定水準に達していない生徒には叱咤激励はあり基本は厳しい。そのため1学期限りで取らなくなる人も多く、さらにその限られた時間で学んでいってもらうために最初のカリキュラムが固定していっている感じがした。
僕はテスト結果が入学時としてはそこそこ良く(それ以降上がることはなかったが…)、ラッキーなことに最初からプライベートレッスンを受けることが出来、さらに取り続けることも出来た。でもそういうことが出来た生徒の中では、間違いなく最も実力は足りず出来ないことが多く、一度だけだが中断して帰らされたこともある。でも実はとても面倒見がよい方なので、悩みがある生徒の相談にのってくれるエピソードは噂でよく聞いた。レッスンが、散歩に外出していっしょに鳩に餌をやるっていう内容だったりとか。僕の場合は英語力が酷く、ずっとESLの先生並みにそちらもチェックしてもらい続けた。
幸運であれば僕くらいの実力でも取ることが出来たレッスンだったので、最低限のレベルを求める要求に、厳しい先生だったという人もいたのだと思う。ただ逆にほとんどの場合彼のレッスンを受けることができる生徒はとんでもなく上手い人ばかり、国を代表して学びに来たと言うような人もいる。僕も2学期目以降はなんとか少しづつ要領もつかめてきてそこからのレッスンを思うと、実力が高ければ高いほど学ぶことが多かったはず。今著名な世界的ギターリストたちが、受けたレッスンがとても良かったと答えるのは当然。
あれから20年過ぎて、これまでなにか気づきがあったり発見したりする度に、あのとき言っていたことだと追体験する。最近になってやっと、当時レッスンで取り組んだ内容の入り口にたどり着いたような気もする。やはり自分には高度過ぎたようなので、人より時間がかかるようだ。でも、まだまだこれから先もずっと取り組める音楽についての課題を受け取り、そして少しづつでもベターになっている事が実感できるというのが、僕が彼から学んだ一番重要なこと。