スポーツ選手には特有の故障がある。体を一般人よりも酷使する部分がある。多くの選手にリスクがあり、選手生命を脅かす。
演奏家もスポーツ選手と同じく、体を使い楽器を演奏する。一般的な動きとは異なった方法で。そしてスポーツ選手と同じく特有の故障がある。例えば有名なのは腱鞘炎だ。
当然故障を避けるために、体のその箇所に負担をかけない動きや奏法などは発展しつつある。故障しては仕方がない。しかしプロの世界では結果が求められるためどうしてもリスクを抱えつつパフォーマンスを行う場面も多い。また演奏家はどうしてもその音色や表現が欲しい場合にもリスクのある奏法を選ぶ場合が有る。スポーツ選手がレーシックを行うのもおなじようなものだ。リスクはあるが今どうしても必要なのが視力。そして今しか活躍の時期はない。
僕は、指導者として教えるということに関わる際には、できるだけ故障のリスクを避けるやり方を自分で身につけてもらえるように指導している。やむにやまれず表現のためにリスクのある弾き方をするのなら僕が止めてもやるだろうから、教える際は徹底して体の機能を理解してリスクは避けてもらっている。
しかしプロの現場では、リスクが有る部分に答えがあってもおかしくはない。いつか弾けなくなっても今どうしてもこの音が必要だということもあるだろう。
腱鞘炎をはじめ故障する演奏家は多い。全く考慮していない者は論外として、多くの演奏家は表現とリスクの間で戦っている。そして故障し療養の間、パフォーマンスは落ちるかも知れないけれども、音楽的には何かを学び戻ってくる。
最近は体に優しく負担をかけない動きというのが、武術、スポーツ、音楽などの分野で流行っている。だからといって故障した演奏家のことを、ただ弾き方が悪いんだと誹ることにはすこし違和感を感じる。当然本人は解っていてリスクをとっている。
といったことを、故障して復活する演奏家やスポーツ選手のその後を楽しみに書いてみた。ちなみに僕自身は指導者に恵まれ、あまりリスクを取らずにすんでいる。臆病で慎重なこともあるし、これからも無理はしないだろうと思った。それが表現者として足りないことなのかも知れないけれど。