2012年12月31日月曜日

未だに青いおっさんが語る、浅さと未熟さ。

「人の噺を聴いて、自分よりへただと思ったら、その人の芸の水準は自分と同じくらい。
自分と同じくらいだと思ったら、自分よりもうまい。自分よりうまいと思ったらその人のほうが遥かにうまい。」

落語にこんな話があります。芸事は上手い下手だけでは言い表せない価値もありますが、これは一つの真実です。人と比べるというのは価値基準を決める大事な事。

僕は、関西、ボストン、ニューヨーク、東京といろんな場所で演奏していました。どこにいても自分はエッジ(境界)にいるんだろうなと思っていました。つまり多くの中での最低限のレベル、脱落しないギリギリの最底辺のレベルだと。もしかしたらそれ以下で本来なら脱落しているはずが、しがみついているだけなのかもしれません。

それくらいすばらしいプレーヤーがいっぱいいました。上手い下手で判断するというのも少し変ですし芸術性というのはすこし違うベクトルもあると思います。言い方を変えると、最低限、同業者に「良いな」と思ってもらえるような音楽家を目指していましたし。今も目指しています。

演奏家の演奏は、内面的にはその人そのものとそれまでに積み上げてきたもので出来ています。練習すること努力し積み上げることは、やれば誰にでも可能だと思われるかもしれませんが、練習するということは才能です。その集中力は一番の持って生まれた能力です。

僕は、耳の良さや演奏力など能力的にもさほど恵まれているとも思っていなかったので、できるだけ可能な限りは練習など後から積み重ねられる事はやろうと試みました。しかしこれも才能ですので、一流どころの練習量や質とは全く比べ物にならないでしょう。ですので、先に書いた通り自分はすべての面でエッジにいるという認識で、しかし進み続けるということを選んでいます。

自分の生徒さんなど成長途中だったり趣味で演奏している方は別として、同業者の演奏を聴いて「もし」かなりクオリティが足りないと感じたとすると、自分の中ではあまりいい感じはしないです。自分はエッジにいるわけなのでそれ以下ってのは‥。少なくとも足りないはずの自分の練習量よりも足りてないでしょうし、多分自分の現状を見てみない振りをしているか認識できてないか。「いいな」と感じられないプレイには多分そういう演奏家の自己認識が関係しているのかもしれません。

凄く青臭くて子供っぽい考え方だなと自分でも思いますが(自分を擁護してる部分も深層ではあるでしょう)、あまり変えるつもりはないです。僕がクオリティが低いなと思う同業者の演奏を聴いて、無性に腹を立ててしまうのはそういう理由です。

多くの演奏家が関わっている講師業についても同じ認識です。しかも演奏家と二足のわらじを履くつもりなら、なおさらどちらかのクオリティが低いとすると腹立たしいですね。

こう思うという事は「人を以て鑑となせ」というところで自分の精進も足りない部分が多いはずです。人間的にも。まだまだ青い生き方をしている2012年の大晦日です。